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◇首都避難の恐れ、偶然重なり回避

 「第1原発も深刻だが、同様に深刻だった第2原発は奇跡的に冷却できたと認識できた」。5月下旬、現地視察した国際原子力機関(IAEA)調査団は、経済産業省幹部に対し「奇跡」という言葉を持ち出してねぎらった。

 津波後も一部電源が残った第2原発では、仮設ケーブルを柏崎刈羽原発(新潟県)などから集め、電気を通して4基の原子炉を冷却することが急務だった。作業員を大量投入して敷地の野球場フェンスを徹夜で撤去し、ヘリポートに改造、ケーブルを積んだヘリを社員の車20台のヘッドライトで誘導した。総延長9キロのケーブルを2日で敷設し、ぎりぎり冷却が間に合った。通常20日かかる作業だった。

 人海戦術ができたのは、地震発生が金曜日の午後で、協力企業の作業員数千人がたまたま施設内にいたためだ。「もし発生が翌日の土曜日だったらと思うとぞっとする」。IAEAに、第2原発の増田尚宏所長は証言した。

 そのころ第1原発では1~4号機が電源喪失で冷却機能を失った。最多の1535本(460トン)を保管する4号機の使用済み核燃料プールは沸騰。溶融すれば最悪の場合、首都圏の3000万人が避難を強いられる事態が目前だった。だが空だき直前、4号機内で起きた水素爆発の衝撃で核燃料プール横の別なプールの水が偶然、核燃料プールに流れ込み危機を免れた。

 2号機では、原子炉建屋の窓が、隣接する1号機の水素爆発の衝撃でたまたま開き、水素が排気されて建屋内の爆発が回避された。もし4号機プールが空だきとなり2号機も爆発したら、放射性物質の汚染は今の比ではなかった。

 「日本だから収束できた。海外だったら無理」。東電幹部は私の取材にこう証言した。作業員が被ばくにおびえながら復旧に尽くしたことには頭が下がる。だが事故への対応では「偶然」が重なった面も忘れないでほしい。